天才を育てる
- Hope ABA
- 2025年5月30日
- 読了時間: 2分
自閉症の特性はこうだ、ADHDとはこういうものだ、LDにはこんな特徴がある──。
特別支援教育に関わりながら、これまでずっとそんなふうに診断名とその特徴を学び続けてきた。
しかし最近になって、診断名では捉えきれない何かのほうに、心が惹かれるようになってきた。
子どもと向き合うとき、「この子の“天才”はどこにあるのか」と探すようになった。
ここで言う天才とは、他の誰かよりも秀でているという意味ではない。
その子の中にある「すごいところ」、その子だけの輝きを指している。
けれど、実際に子どもたちと関わっていると、想像を超える力を見せられることがある。
「そんなことができるのか」と思わず唸るような場面に出会うたびに、この言葉を使いたくなる。
いろいろな子に、いろいろな天才がある。
それは決して診断名では語られないし、カテゴライズもできない。
そんな天才と日々向き合っていると、ふと羨ましさを感じることもあるし、ただただ感心させられることもある。
そうしているうちに、「障害」という言葉の意味が、だんだんとわからなくなってきた。
脳は、いくつかの部位に分かれている。それぞれの部位はちゃんと働いているように見える。
しかし、その部位と部位をつなぐ“道”が、どうも滑らかではないと感じることがある。
そのつながり方の個性が、ASDやADHD、LDといった名前で語られているのかもしれない。
たとえば、「球」という漢字を見て「ボール」と読む子がいる。
一瞬「なぜ?」と思うが、おそらくその子の中では、「球」という文字を見た瞬間に、ボールの映像が浮かんだのだろう。
そして言葉として変換される前に、映像が先に口をついて出た。
脳の中の情報処理が、少し違う道を通った結果、こんなユニークな現象が生まれたのだと思う。
脳の中の“道”が違えば、見える世界も感じ方も表現の仕方も変わる。
そこから生まれる発想や行動は、「間違い」ではなく、「新しい入り口」なのではないか。
これからの時代に求められるのは、「正しい答え」ではなく、「誰もまだ思いついていない答え」かもしれない。
未来をつくるのは、そんな“天才たち”の自由なつながり方なのだ。
天才を育てるのはとても楽しい。




コメント